2012年入社
都市生活研究所
プロジェクトクリエイションルーム
ビジネスデザイナー

日浦 康雄

Yasuo Hiura

PEOPLE 03

生活研究者とビジネスデザイナー。
視座を高く持ち、”二刀流”に挑む

転職の経緯とYOMIKO入社の決め手について

大学を卒業して外資系のコンサルティングファームに入社、電機メーカーや自動車メーカーのグローバル戦略構築、中期経営計画の策定などに携わっていました。そこでの濃密な時間から多くのものを学びましたが、仕事に興奮を覚えることはありませんでした。もっと生活者に近い仕事、“生活者発想”のコンサルティングをやりたいと強く考えるようになり、約3年で転職を決意しました。
広告会社のマーケティング部門に狙いを定めたものの、3.11の直後で各社が採用を休止中。YOMIKOがいち早く営業職の募集を再開したので、とりあえず応募することにしました。ところが面接に行ってみると「日浦さんの経歴からすると、営業ではないと思います」と言われ、突然面接官がマーケティング局長に交代。その後トントン拍子に採用が決まってしまいました。もはや“運命”に抗うこともなく、私の広告人としての生活がスタートしました。

現在の仕事やそのやりがいについて

最初の配属は、マーケティングのスタッフセクション。ここで念願だった生活者ブランドを数多く担当させてもらいましたが、メインとして取り組んだのが有名飲料ブランドのAEです。生活者調査による情報収集から、戦略と戦術を描き、クリエイティブなどエグゼキューションへとつなぐ。クライアントからはどの工程においても厳しく高い水準が求められ、なおかつ膨大な量を任されたことで、5年という期間ながら、マーケターとしての素養を身につけることができました。
その後博報堂DYメディアパートナーズへの出向を経て、都市生活研究所、都市生活ビジネスセクションと目まぐるしく舞台が変わっていきました。ただその間、「ビジネスデザイン」という新しい業務にチャレンジすることとなります。「都市生活者の社会課題解決」をテーマに、これまで広告会社が手掛けてこなかった領域を開拓しようというもので、時勢もあってDX分野などにアプローチしていきました。
現在は再び都市生活研究所に戻り、“生活者研究者&ビジネスデザイナー”の二刀流を歩み始めています。

YOMIKOという会社の魅力や特長について

現在の仕事やそのやりがいについて

一)越境があたりまえ
すでにある仕事を最適化するだけなら分業は強いけれど、新しい仕事をつくり出すには情熱あふれる「越境」がすごく効いてくる。

二)好きを仕事に
安定的に仕事が入ってくる会社ではないから、提案や仕掛けの繰り返し。その起点にはいつも「好き」があって、会社公認のエネルギ一源。

三)多様な働き方
「多様性」というルールを設定するまでもなく、ほどほどの企業規模と、大切にしてきた自由さと、そこに人の好さも相まって、個人の裁量が担保されている。

今後やりたいことや目標について

いまは24時間365日働いているような感覚があって、自分が普通に生活をしていて感じることがそのまま仕事になる。だからいつもワクワクしていられます(決してワーカホリックではありません)。二刀流は大変だねと言われますが、自分のやりたいことができて、そのうえ自分の強みも発揮できるのだから、とても満足しています。そもそもこういう働き方が許されるのも、YOMIKOらしさですよね。
与えられたミッションは、YOMIKOが強みとする都市生活者研究の知見を活かしながら新しいビジネスを開発すること。DXやメタバース、eスポーツ、AI等々、思いつくだけでもテーマは多彩ですが、それを具体化させるのは簡単ではありません。「GAME CHANGE PARTNER」は、つねに視座を高く持てと、私の背中を推してくれる言葉です。大きな目標に向けて、しばらくは全力で走り続けたいと思います。

社員紹介「日浦 康雄」

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