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2023.10.18
2023年の次世代サードプレイス・ラボでは、Vol.1で提示した以下の2つの仮説をもとに、次の時代の生活者や社会の理解につながるヒントとなる次世代サードプレイスを取材。
次世代サードプレイスはただの居心地のいい場所ではなく、 人間的な居場所であり、生活者のインサイトと社会の兆しが表出している場所ではないか。
生活者が主観的に、自分が人間らしくいられるサードプレイスを 見つけはじめているのではないか。
Vol.2となる今回は、生活者が見つけ始めている場所のひとつとして高円寺「小杉湯」の隣に位置する会員制シェアスペース「小杉湯となり」の企画・運営を担当する加藤優一さん、設計を担当する樋口耕介さんへお話を伺った。銭湯が街のお風呂であるように、“街に開かれたもう1つの家のような場所”として運営をする「小杉湯となり」は、働くためのシェアオフィスのようでもあり、家のようにくつろげる場所でもあり、心地のよい居場所でもある、何とも言い難い不思議な魅力に溢れる場所。このレポートでは、街の人が惹かれるこの場所の魅力を通して次の時代の生活社や社会へのヒントを模索する。
加藤優一さん 銭湯ぐらし代表取締役
温泉王国山形に生まれ、銭湯に通い続けること35年。風呂なしアパートの再生プロジェクト「銭湯ぐらし」を立ち上げ、法人化。銭湯のように地域に根ざし、長く続いていく組織と場所をつくるべく活動中。
樋口耕介さん T/H代表 一級建築士
米国生まれ。九州大学工学部建築学科卒業。九州大学大学院人間環境学府修了。手塚建築研究所を経て、2015- T/Hを共同主宰。
高円寺駅から徒歩5分。静かな住宅街の中に佇む昔ながらの銭湯「小杉湯」。その隣にある不思議な形の建物が「小杉湯となり」。
直線だが直角でない、整然としていつつも好奇心を刺激する。入口は路地から少し中に入った場所にあり、道から中が覗き見ることができる軒下が印象的。
3階建ての1階について。 家の玄関のように靴を脱いで、少し落ち着いた気持ちで中に入ると、目の前には大切に使われたあとが残るキッチンと、休館日ながらに会員の息遣いを感じる様々なボードが目に入る。
カフェのようでありながら家のリビングのようでもある。シェアキッチンと自由に使えるテーブル、ドリンクコーナーや掲示板があり、週末には会員さん主体のイベントが行われるそう。
2階。畳の小上がり席には、明るい高円寺の日差しが入り、ぽかぽかして気持ちの良い空気に包まれる。それでいて、外を向いて小杉湯ビュー最前線のカウンターは作業に集中できそうな設えで、ここでの過ごし方の自由さが空間からも見て取れた。
3階はベランダつきの個室となっており、六畳一間を貸切利用できるそう。傾斜した壁の側は、少しかがんでちょうど良い高さの天井が心を落ち着ける。
窓からは隣の小杉湯の堂々たる姿と、その奥には富士山が見える。
こだわりの詰まった3つの空間を案内していただき、ふとすでに自分がこの場所に気持ちを安心させていることに気がつく。家のような場所、「小杉湯となり」。“ような”にこの場所の大切な思いが詰まっている気配を感じながら、お話を伺った。
この場所のはじまりは、加藤さんの原体験だという。
“ワーカホリックになりながら働いていた時期。ご縁があり、小杉湯との隣にあった解体前の風呂無しアパートで1年間暮らすことになりました。
それが自分にとって良くて「1日のなかで1回は心と体の力を抜く生活」というのにすごく助けられたんです。その時は、毎日銭湯に入り、定食屋でご飯を食べ、ランドリーで洗濯をする。暮らしを部屋の中だけに閉じずに街に開くことで、日々に余白が生まれ、地域とほどよい繋がりができると感じました。”(加藤さん)
この原体験をもとに、もっと多くの人に街にひらいた暮らしを体験して欲しい、という思いで企画した「小杉湯となり」。ここをもうひとつの家の「ような」場所と呼んでいる理由を加藤さんに伺う。
“「ような」であることはこだわりです。会員さんのなかには、ここを働く場として使う人もいれば、くつろぐ場として使う人もいます。また、一人で集中する日もあれば、誰かと雑談する日もあります。小杉湯となりは、その人・その日によって過ごし方や他の人との関わり方を選べる場所です。
だから、「みんなの家」とは言い切らない、家の「ような」場所。家、職場、サードプレイスを使い分けられるようにしています。”(加藤さん)
家のような場所。加藤さんのお話を踏まえて改めてこの場を見渡してみると、様々な関わり方や過ごし方が共存していくための工夫を随所に感じる。
インタビューを行ったのは、小上がりのある2階スペース。上下階と壁で仕切られることなく、1階のキッチンでカレーをつくっていればその香りが2階にも広がる。会話が盛り上がっていれば、少しだけその声が伝わるようになっているという。
それぞれが思い思いの過ごし方をしていながらも、気になることがあったら気軽に参加ができる。このような場づくりのヒントは、隣にある銭湯「小杉湯」にあったと二人は話す。
“ここを設計するにあたり、加藤さんの風呂無しアパート時代の話を聞きました。隣で暮らしていると銭湯から風呂桶の「かこーん」という音が聞こえたり、お湯の柔らかな匂いを感じたり、誰かが生活をしている気配が感じられると伺いました。それは銭湯でお風呂に入っている時も同じで、特段何か積極的に会話するわけではないけれど、誰かの気配、日々の営みが感じられる。その安心感が居心地がよい場のヒントだと感じました。”(樋口さん)
“銭湯はコミュニティではないんです。もちろんコミュニティも醸成されていますが、純粋に疲れたときに心や体を癒す人もいれば、常連さんや番台さんと交流する人もいる。一人でいれる場所でもあり、複数でいれる場所でもあるという「コミュニケーション選択性」が銭湯にはあるのです。小杉湯となりもそういう場所にしたいと思っていました。
コロナが流行り始めて最初の緊急事態宣言のとき、公園には人が溢れていました。この様子を見たことは、人の気配や人との繋がりをちゃんと持てる場所がすごく重要だと感じるきっかけになりました。さらに、そのあと、リモートワークが普及したときに、一人暮らしの人は人との接点が減り、逆に同居している人は自分の居場所がなくなった(急にパートナーとの距離が近すぎて上手くいかないなど)と感じる場面も増えたと聞きました。
だからこそ、街においても「一人でいれる場所」と「複数でいれる場所」が必要だと感じました。小杉湯となりはその受け皿として、過ごし方や人との関わり方を「選択できる場所」として機能していくとよいなと考えていますね。”(加藤さん)
「小杉湯となり」の会員は20代から60代まで幅広い年齢層、さらには職業もバラバラ。多様な価値観を持った会員が、それぞれにとっての居場所として、暮らしを街にひらきながら集まっている。「違い」が同じ場所に共存している、絶妙なバランスを保っているこの場所の運営は、かなり緻密に設計されているだろうと話を伺うなかで、一つの大きなヒントを教えていただいた。
目に入ったのは会員が銭湯券を利用時に記入する銭湯券ボード。そこには、それぞれの会員の名前の多くが「あだ名」で記されていた。利用者同士が深く関わりすぎない匿名性のある関係を狙っているのだろうか?
“あだ名で書いていることは会員さんに任せていますが、小杉湯となり自体がコミュニティにならないようにすることは意識しています。コミュニティが目的になってしまうと、誰かの意向で居心地が左右されたり、窮屈さを感じる人が居たりします。小杉湯となりでは、あくまで過ごし方や人との関わり方を選択できる「場」をつくることに向き合っています。具体的には「場」を介した接点設けるようにしています。例えば、地域のおすすめ情報は高円寺マップ、イベントの企画や会員同士の情報交換は掲示板、運営に関する要望を集めるための目安箱なども用意しています。
場を介した交流の接点があることで、スタッフや他の会員に話さないとできないことがあまりありません。そうすることで他の人との関わり方を選べる状況が生まれます。”(加藤さん)
“なので会員さんからすると、コミュニティというより、場所を共有しているという感覚が強いと思います。銭湯もそうで、銭湯って、ただみんなでお風呂に入っているだけ。お風呂という場を共有していますよね。だから、ちょっとした挨拶はするけど、その人のことは名前も知らないということが起こり得ます。”(樋口さん)
場を介する接点によって、会員の選択肢を生む。それぞれが「異なる暮らし」を持ち寄る小杉湯となりならではのこだわりだ。
最近では、土日に開催されるイベントで、会員以外も参加できるオープンイベントの形をとることもあるという。よその人も入ってくるという良い意味でのノイズが、この場所の風通しのよさとその先にある個人の選択性を生むことに繋がる。場を介した接点と同時に、場のオープン/クローズドの作り方にも工夫がある。現在小杉湯となりは会員制。一般的にはクローズドと呼ばれる仕組みだが、適度にクローズドであることが反対にオープンな関わり方を選択できることに繋がると話す。
“例えば、公園はパブリックスペースなので、オープンな場所だと位置づけられていますが、禁止事項がたくさんあったり、整備が行き届いていないことで近寄りがたい場所になっていたり、クローズドだと感じる公園もあるはずです。
一方で銭湯は、民間が運営する場所なので完全にオープンな場所ではありませんが、顔の見える関係性があることで安心して使うことができる。常連さんがいることで、場の秩序や文化が保たれてきた面もあると思います。小杉湯となりでも、会員同士で顔の見える関係をつくりつつ、会員以外も利用できる時間を増やすことで、バランスを図っています。 ” (加藤さん)
小杉湯となりは、飲食店として営業を始めたが、オープン直後のコロナ禍で会員制に切り替えた経緯がある。長いスパンで見ると、今はこの場所の価値観をつくるコアユーザー(=銭湯でいう常連さん)をつくる期間だという。これから先、クローズドとオープンのバランスを変えながら、どんな人にとっても暮らしの余白になる時間を届ける場所であることだろう。
最後に、これからの展望を伺った。
“目指すのは「銭湯を暮らしに取り入れる母数を増やすこと」
小杉湯となりは、自分が助けられた銭湯のある暮らしでの原体験をより多くの人に届けたいという思いではじめた。まずは自分たちがこの暮らしを楽しみ、周りの人に伝えていく。余白のある暮らしや、地域とのほどよい繋がりを少しずつ広げていくことを大切にしたい。
また、現在小杉湯となりの周辺で空き家を活用したサテライトスペースや銭湯つきアパートの運営も展開しているが、今後も銭湯つき◯◯を増やしていきたい。 ” (加藤さん)
そんな加藤さん、樋口さんにとって“次世代サードプレイス”とは何か。
“1・2・3で分けるのではなく、1と2と3が重なり、それを自分で選択できる場所が真の居心地のよい場所だと思います。今までは、プライベートとパブリックを分けていましたが、今ってプライベートを持ち寄ったりすることで他者との接点がうまれたりする。
プライベートを家で閉じず、仕事も含めてそういうのを全部持ち寄れる場所なんだと思います。 ” (加藤さん)
“加藤さんと同じで、プライベートとパブリックを分けて整理して考えるというのは今の時代にそぐわないと感じます。二項対立的に分けていたものが両方存在しうるというのが、今の時代の人にとって居心地のよい場の一番大切なところだと思います。”(樋口さん)
暮らしを街に開くという新しい価値観の提案が場所への強い共感を生む
場づくりや運営、様々な工夫に一貫して「暮らしを街に開く」という考え方が軸にあった。働く人も会員もこの考え方に惹かれ、共感し、集う。考えや価値観への共感が「この場でなければいけない理由」になるのではないだろうか。
場を介した接点で風通しのよい人の繋がりを生む
居心地の良さを実現しているのは密な関係を生みすぎず、コミュニケーションの選択肢を生む場を介した接点をつくるという方法。コミュニティづくりに起こり得る閉塞感や窮屈さを作らないこの工夫が、程よい繋がりと積極的な場への関与を生んでいる。リモートワークやネット上での人間関係の拡がりのなかで、リアルな繋がりに求められているのはこの「程よさ」なのではないか。
自分らしい過ごし方が“気が付けば”叶っている
ここに集まる生活者には、沢山の“選択肢”があった。使い方、人との関わり方、場との関わり方。特徴的なのは、その選択肢と生活者との距離感。「選ばなければいけない」選択肢ではなく、知らず知らずのうちに、自分の好きなほうに「流れていける」ような感覚。ここでの選択肢は、ほどよい主体性を持つための補助線の役割りと言える。どの選択に流れても、そこに間違いはない。
それは、暮らしを街にひらく、家のような場だからこそ、DOINGではなく、BEINGで無条件に承認される心地よさを生んでいるのではないだろうか。
心が、ほっとする取材だった。お話を伺いながら、自分の日々を思い浮かべた。1日のほとんどを仕事につかう私にとって、週末のサウナでの時間は私自身を取り戻す大切な時間。サードプレイスと言われて真っ先に頭に浮かんだのがサウナだった。加藤さん、樋口さんのお話は、そんな自分の日々にも「たまには休んで頑張るって、いいよね」と、そっと背中を押してくれているかのようだった。
誰だって毎日は忙しい。悩むこと、考えること、動くこと。選択の連続で暮らしはできていく。小杉湯となりにある選択肢は、毎日にある選択肢と少し違う気がする。そのどれもが心地よく、自分を幸せへ連れていく選択肢だった。これからのサードプレイスを考えるとき、そんな選択があることが大切なのではないかと思う。小さな選択でも、心が躍る方へ、軽くなる方へ、うれしい方へ、自分で決めて進んでいける場所。ちょっとした道を曲がる先に自分の好きな時間が想像できると、人は歩みを進めたくなるのだろう。
インタビュー終わりにスマホを開いた。小杉湯となりが私の暮らしのなかにもある生活を思い浮かべ、ふと会員へのボタンを押しつつ、泣く泣く家が遠いので断念。私も自分にとって、心地よい選択ができる暮らしを、まずは今週末のサウナに行って、考えてみよう。
野村 葉菜
統合クリエィティブセンター